4月1日はエイプリル・フール.
以前はそれほど流行しているとは言いがたい習慣でしたが、インターネットの普及に伴い、各企業がプロモーションの一環としてあれこれと手の込んだ仕掛けを繰り出すことによって奇妙な定着をしつつあるようです(それでも数年前よりは下火になっている気もしますが).
で、自分も
X-T1とかレンズとかいろいろ買ったけど、やっぱ光学ファインダでないと覗いていて酔うので、ニコンDfに乗り換えます.
— annexia (@annexia) 2014, 3月 31
てなことをツイートしてみたりしたのですが、実際のところX-T1を使うようになってから光学ファインダに対するこだわりというか、EVFに対する抵抗感ってほとんどなくなったんじゃないかという気がしています.
出始めの頃のEVFは当然ながら今よりも画像も小さくて解像度が低くてピントもわかりづらく、カメラを左右に振ると像の遅れがあって三半規管に影響するような気持ち悪さとでもいうか、生理的な拒否反応がありました.
それが徐々に改良されて、X-T1のEVFではフルフレームの一眼レフを超える画像サイズになり、映像の遅延も意識させないレベルにまで到達しました.むしろここまでくるとEVFならではの利便性、たとえばMF時には画面を二分割して中央部を拡大したり、縦位置にするとシャッター速度や絞りの数値も自動回転するなどといったメリットのほうが大きく感じられます.さらにいうと、EVFとコンピュータの色調による違いはあるにせよ、いま覗き込んでいる露出やボケ具合、ホワイトバランスそのものが記録されるというのは撮影ミスを防ぐ大きなアドバンテージであるといえます.
昔、デジタルで印刷原稿を作るのはMacの独壇場だった時代に「WYSIWYG」という言葉がありました.「What you see is what you get.」つまり、あなたが見ているものがあなたが(紙となって)手に入れることができるもの.という意味.EVFというのはこれに近いものなのかもという気がします.
とはいえ、どれだけEVFが進化をしても光の速さにかなうEVFの開発は無理でしょうし、光学ならではの透明感のあるクリアな視界に魅力があることもまた事実なのですが.